本山勝寛 4kizフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

ハンセン病二人の闘士の死の意味

ハンセン病患者、回復者への差別と闘ってきた二人の代表的人物が立て続けに亡くなられた。
一人は、全国ハンセン病療養所協議会会長の神美知宏(こう みちひろ)さん。
もう一人は、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長の谺雄二(こだま ゆうじ)さん。

5月10日に神会長の、11日には谺会長の訃報が二日連続で流れ、哀しみと衝撃が胸に走った。そして、この二人の死は何か大きな意味があるように思え、重たい筆を綴っている。

お二人とも、ハンセン病による療養所への強制隔離を経験し、病気が治った後もハンセン病回復者の尊厳回復のために文字通り命懸けで闘ってこられた。医学的に治癒可能となり隔離が必要なくなった後も、実質上の隔離は続き、その根拠となったらい予防法は1996年と最近まで存続した。らい予防法や隔離政策はおかしいと差別の目をおそれずに訴え続けてきたのは、医師でも弁護士でもなく神さんや谺さんといった回復者本人たちだ。神さんの証言が大阪府人権協会のホームページに掲載されているので、その一部を引用する。

 日本は戦後、基本的人権の尊重と民主主義を謳った日本国憲法をもちました。しかしハンセン病患者の人権を踏みにじる「らい予防法」は1996年まで生き残り続けました。憲法の理念など、療養所には無関係だったのです。法律がなくなり、国が過ちを認めた今も「差別」「排除」という被害を受け続けている人がいます。この非常に大きな問題を、どれほどの日本国民が知っているでしょうか。
 少なくとも療養所の実態を身近で見てきた医療関係者や職員から「これはおかしい」という声がなぜ出なかったのか。らい予防法の改正に向けて日本弁護士会に支援を頼んだ時も、反応は鈍いものでした。「やっかいなものには手を出さない」という風潮が、専門家の間にすら浸透していたように思います。
 しかし風向きは確実に変わっていきました。そして2001年、熊本地裁判決によって国の過ちが認定されたのです。国が控訴断念を決めるまでの2週間、わたしは初めて運動の先頭に立ち、首相官邸前で座り込みをしました。その時、多くの市民の人たちが我々と一緒に座り込みをしてくれました。長い間、運動をしてきましたが、あれほどの一般市民の人たちがわたしたちの運動を支持し、一緒に行動してくれたのは初めてでした。国の控訴断念は、市民の後押しがあったからこそだと思います。そしてわたしは「神美知宏」という名を取り戻しました。

ハンセン病は、世界中どの国でも深刻な差別と偏見があり、程度の差はあれ何らかの隔離や排除か行われたきた。しかし、そのなかでも日本は特異な歴史を経験している。

それは国の関与した強制隔離が極端なまでに徹底され、患者の断種・堕胎までが公然と行われてきたことだ。世界の国々のハンセン病回復者たちを訪ねると、少なからず子どもたちがいて、その子どもたちまでが差別に苦しんでいるという重たい現状はあるものの、子どもたちの存在が明るい未来を感じさせてくれもする。一方で日本の場合は、子どもを持つことが許されなかった。日本にはハンセン病回復者を親に持つ子どもがほとんどいないのである。

このことは、差別の歴史を当事者の立場から語る存在がいずれいなくなってしまうということも意味する。現在、全国に14あるハンセン病療養所で暮らす回復者約2000人の平均年齢は82歳と、入所者全体が高齢を迎えている。

全国ハンセン病療養所協議会の会長を務めてこられた神さんも、昨年お会いしたとき、「自分はまだ若い方だ。しかし、体力的に自分以外やれる人がいない。ハンセン病問題はまだ終わっていない。命を懸けてでも取り組まなければならないことがある。私が倒れたら他に誰が引き受けてくれるのか心配だ。だから、あと数年で正しい方向に導きたい。」と話されていた。

そんな神さんが本当に倒れてしまった。しかも、年に一度のハンセン病市民学会に出席するため、その会場となる草津の宿泊先で急逝されたのである。

療養所に暮らす回復者の皆さんも、多くは介護が必要な高齢者だ。国の断種政策により、子どもも残されていない。

ハンセン病の病気自体はいま日本にはほとんど存在しない。世界では年間20万人近くが新たに感染しているが、患者数はかつてに比べて激減し、「終わった問題」と見られがちだ。しかし、病気がなくなり、患者がいなくなれば、私たちはこの歴史を忘れてしまってよいのだろうか?自由と人権が叫ばれた時代にあって、人類がそして日本人が、これだけの差別を公然と犯してきたことを。

ハンセン病問題を風化させてはいけない。今もなお差別と偏見に苦しんでいる人がたくさんいる。その現実を直視し、歴史の教訓を後世にまで伝え続けなければならない。」

神さんと、谺さん、そして自らの名前を変えて生きなければならなかった多くの名もなき方々が、天国からそのように叫んでいるように思えてならない。

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