一昨日8月26日の夜、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、映画「風立ちぬ」の制作に向かう宮崎駿監督を密着したドキュメンタリーが放映されていた。私は正直なところ「風立ちぬ」をまだ観ていないので、何かを述べるような立場ではないし、日本禁煙学会の要望を発端にしたタバコ論争の印象ばかりが強かったので、あまりちゃんとした評価はできないことは自覚している。ただ、番組のなかで、ハンセン病回復者の療養所である多磨全生園が出てきて、思うところがあったので、書きとどめておきたい。
というのも、この番組を観たのは出張先の群馬のホテルだったのだが、草津にあるハンセン病療養所栗生楽泉園を海外の人権専門家やハンセン病回復者団体の方に視察してもらい、国連に提出する提案書を策定するという国際会議の開催真っ只中だったのだ。国内で唯一あった「重監房」と呼ばれる懲罰施設の跡も視察した。ここには、高原の寒い冬のまっただなか、独房に入れられ、ろくな食べ物も与えられずに93名中23名が凍死されたという歴史がある。1938年から1947年のことだ。その時代はもちろん、戦争の時代であり、風立ちぬの時代でもある。
なんでこんな話をするかというと、NHKの番組のなかで、宮崎駿監督が制作に悩んでいたおり、公開前1年を切った2012年10月15日、ハンセン病療養所で隔離を強いられた人の写真展を見て、強烈な印象を受けたことが明かされていたのである。宮崎監督はこう語っていた。
「おろそかに生きてはいけない」
このあと、彼は一気に絵コンテを仕上げていく。「世界のどこにも無い飛行機の開発にまい進していく主人公二郎。描くのはいかに精一杯に二郎が生きていたのかということで、物語は当初の予定から大きく動きはじめた」という内容だった。
どのような時代であっても、どのような運命であっても、「おろそかに生きてはいけない」というメッセージこそが、社会から隔離され絶望の淵に落とされながらも、それでもハンセン病とともに生きてきた方々から監督が受け取ったものであり、作品で描きたかったことなのだろうか。
宮崎監督はもともと、ハンセン病に対して深い理解があり、自宅の近くにある全生園にも度々足を運んでいる。もののけ姫にもハンセン病患者と思われる全身包帯の人物が登場するし、千と千尋で名前が変えさせられるのもハンセン病療養所の決まりと重なる。今回の「風立ちぬ」はあまり関係があるとは思っていなかったが、作品の制作過程でそんなに重要な役割を果たしていたことを初めて知った。
そう考えると、ヒロインが結核で療養所に入院すること、その病をこえて主人公と交わす愛が描かれていることには納得がいく。結核もハンセン病も感染症であり、有効な治療法がなかったため隔離がなされていた点は共通している。
蛇足になるが、喫煙シーンや結核患者であるヒロインとのキスシーンが描かれているのも、長く生きるために健康を至上のものとするよりも、与えられた生のなかで「おろそかに生きない」姿を描きたいという宮崎監督の意思の表れだったということなのだろうか。
宮崎監督は被災地にもよく足を運んだそうだ。生と死、戦争と平和。あの震災のあと、私は同じ日本に住む多くの人がある瞬間に突然に亡くなられ、海に呑みこまれて行くのを目前にし、自分自身と家族が生きていることは当たり前ではないことを気づかされた。そして、その想いが、時間とともになんとなく薄れていっていることにも、時折気づくのである。
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