世界を動かすロビイング力
日本のオリンピック招致活動に対する評価では、最終日のプレゼンテーションが注目を浴びていた。確かに、それぞれのプレゼンの完成度はこれまでと比べると高く、招致成功の一つの要因であることに間違いはない。一方で、IOC委員の投票結果は、JOC会長の竹田恒和氏の事前の票読みとほぼ一致したという見解も明らかにされ、9月9日放送のNHKクローズアップ現代では、緻密なロビイングにスポットが当てられていた。竹田氏は今年だけでも「地球10周分を移動して、約50か国を訪問した」とのこと。NHKに取材されたあるIOC委員は、「“日本人はロビイングが苦手”というのは今回はまったく当てはまらない」と語っていた。日本人のロビイング下手は確かに一般的にはあてはまると感じるが、明確な目標が定められたときに発揮するチームワークや、細微にまで気配りできる力が組み合わされば、それなりに成果を出すことのできる潜在力を持っているように思う。
話は変わるが、私は今エチオピアで、ハンセン病と人権に関する国際シンポジウムを開催する真っ只中にある。エチオピアは、昨年没したメレス首相が17年間トップの座に立ち続け、安定した経済成長を導いてきたという評価がある一方、人権団体からは独裁者と称されてきた。ハイレマリアム現首相もメレス政権下の副首相兼外相であり、基本的には前政権の方針を踏襲しているようにみえる。そのため、「人権」と名のつく国際会議をエチオピアで行うことは基本的には難しく、現地のNGOなどからは当初難色が示された。そこを、政治的目的ではなく、ハンセン病という特化した分野の啓発活動であるとの説明で、駐日大使やエチオピア外務省、保健省などを渉外し、ようやく開催にこぎつけることができた。
国際NGOの活動をしていると、現地に入ってニーズを汲み取り、持続可能な事業に組み立てていく力と、国際機関や各国政府と交渉し何らかの協力やコミットメントを引き出すロビイング力も求められる。今回のシンポジウムは、2010年に国連総会で採択されたハンセン病差別撤廃決議の実行を各国に促すことが主目的だが、この国連決議自体が日本人のロビイングの成果だとも言える。この決議は、2008年から3年連続で採択された国連人権理事会の決議に続くもので、日本政府が主要提案国となり、中国やキューバを含む他の国々も共同提案国として参画し、全会一致で採択された。もともとこの問題に長年取り組んできた日本財団が日本政府と組み、外務省人権人道課が国連代表部やジュネーブ代表部と協力して各国代表部にアプローチをかけた成果とも言えよう。日本はらい予防法に代表される極端な隔離政策で、ハンセン病患者・回復者に対する人権侵害を犯してきた悲しい歴史があるが、その反省と教訓をいかし、国際的にこの問題を世界に訴え続けている主導国になっている。
「ロビイング」と言うと日本人には特別なもののように思えるが、日本的に言えば要は「根回し」のことである。元外務省主任分析官の佐藤優氏の「根回しのマナー」(読売新聞2009年3月31日夕刊)という文章が興味深かったので一部転載したい。
あるとき「インテリジェンス(情報)の神様」と言われるイスラエル政府高官に、テルアビブの深夜レストランで一杯やりながら、「米国人は根回しを嫌うそうですが、どうやってロビー活動を行っているのですか」と尋ねたら、「君はインテリジェンス工作の本質がよくわかってないね」と笑われた。そして、高官はこんな話をした。
「米国の社交クラブやホームパーティーはすべて根回しの場だ。公開された場所での自由な討論で物事を決めるなどという建前に騙されてはならない。米国でもロシアでも、そして恐らく日本でも、重要な意思決定は、根回しをした後で行われる。ただし、米国では根回しの姿が外から見えないように細心の注意を払うという文化がある。それだから米国社会を表面的にしか観察していない外交官には、根回しの実態が見えないのだ」
確かに米国でロビイストやコンサルタントという職業が成り立つのも、根回し文化があるからだ。
どの国家や社会にも存在するマナー。つまり根回しの本質は、事前に正確な情報を交渉相手方と共有することだ。理想としては、相手がこちらの立場に同意してくれることだ。同意してくれない場合、積極的反対はしないという可能性を探る。それもだめな場合は、反対の度合いを緩めてもらう。情報を事前に提供することで、何が問題になっているかという土俵ができる。仮に相手と合意に至らないとしても、根回しをしてあれば、本交渉で事実に基づかない感情論の応酬をさけることができる。
世界を動かすのは、ときに感動的なスピーチであったり、経済力であったりするが、地道な情報の分析と共有が静かに世界を動かすことも少なくない。