まなブロ by 教育イノベーター本山勝寛

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

グローバルマッチョ論争はもっと具体的な議論必要

最近、元経産省官僚のうさみのりや氏がブロゴス等で、いわゆるグローバルエリートを煽る風潮を「グローバルマッチョ思想」と命名して批判論を展開されている。曰く、「『受験戦争にはグローバルマッチョ競争という続きがあるよ』と言って人間をスペック競争の型におしこめるような発想で、人間の多様性というものを暗に否定している」とのこと。なんでもかんでもグローバルと接頭語につけたがる昨今の状況を思えば、これはこれで重要な問題提起であると思うのだが、私には「グローバルエリート万歳」論も、「反グローバルマッチョ」論もどこか議論が上滑りしているような印象を受ける。

グローバル○○といったときに、メディアや本などで取り上げられるのは、おおかたハーバードやマッキンゼー、ゴールドマンサックスといった、うさみ氏の言葉を借りれば「グローバル人間ピラミッド」の頂点に立つ「グローバルエリート」「グローバルマッチョ」な人たちだ。しかし、グローバリゼーションがアメリカナイゼーションであると同時に、多極化を意味していることを考えると、事態はそんなに単純ではない。うさみ氏が批判されていると思われるマッチョな方も、世界はそんなに単純ではないことを重々承知し、そのような言説を織り交ぜながらも、結果的に大衆を相手にする商業的メディアではグローバルマッチョ的な見せ方が、特にタイトルの付け方、付けられ方によって目立つようになってしまうのではないかと推測する。

私はそういう上滑りで不毛な議論を交わすよりも、グローバル○○という曖昧な言葉でごまかさずに、もっと具体的な事象をしっかりと分析して議論されるべきであると思う。そこで、私の狭い経験の範囲内であるが、いくつかの事例を考えてみたい。

最近、国際法の権威的な方とお話したのだが、近年、日本では国際法を専攻する大学院生が減り、結果的に教授のポストも減っているという。これは法科大学院制度の導入により、そもそも研究を志望する学生が減った上に、試験準備の位置づけが大きい法科大学院で司法試験の一選択科目でしかない国際法を勉強するインセンティブが弱まっていることが理由として挙げられる。しかし、国際法といえば、これだけグローバル化が叫ばれる時代、人権外交が繰り広げられる国際人権法(参考:橋下氏発言で考える「人権と外交」)や、領海・大陸棚問題などの国際海洋法、知的所有権や環境等々ニュースになるような話題も多く、その重要性は増していると言ってよいだろう。素人の私などは、国際法の研究者は当然増えているものと思うのだが、そうではないのが今の日本の現状なわけだ。

それなのに、英語は必須だとか英語だけが能じゃないとか、コンサルや投資銀行ばかりにスポットを当てたり、それをグローバルマッチョのスペック競争と批判していても、あまり精緻な議論ができないように思う。

これはメディア自体にも問題があって、これほどグローバル、グローバルと叫ばれ、自らも叫んでいるのに、メディア業界ほどガラパゴスな業界はないように思う。以前から指摘しているが、日本の新聞は発行部数上位を独占しているにもかかわらず、英字版をもつ読売と毎日の英語版は惨憺たるものだ。NHKも最近になってようやく英語放送に力をいれ始めたが、あまり視聴されていないのが実状だ。結局、日本発の国際メディアがないために、原発事故や慰安婦問題など、様々な場面でちゃんとしたメッセージを海外に伝えられないというジレンマを抱え続けている。(参考:橋下発言の英訳問題で考える海外情報発信とハフィントンへの失望)出版社も同様で、それなりのコンテンツを抱えていても海外に積極的に売り出そうというマインドがない。これまでは国内の多い人口に支えられて守られてきたわけだが、少子高齢化のいま、現状維持で一体どこまでもつのだろう。

もちろん、こういったことは政府や各業界が考えるべきことで、個人はそれぞれ自分のやりたいことを追求すればよいというのはもっともだ。しかし、政府や言論界、あるいは大学、企業などが適切なアジェンダセッティングをしなければ、個々人の追求にも自ずと限界が生じよう。グローバルエリートだとか、グローバルマッチョだとか曖昧な言葉で単純なアジェンダを設定し、白か黒かを議論するより、グローバルな文脈のなかでやるべきこと、課題であるもの、面白いことなど、様々な場面でもっと具体的な議論が進むことを期待したい。「グローバルマッチョ」の名付け親のうさみ氏はそういった具体的な話もされているわけだが、せっかくなので議論が深まればと思い、僭越ながら口を挟ませていただいた次第である。