最近4歳になった好奇心のかたまりである長男は、「なんで○○なの?」を連発する。答える責務のある親としては大変な作業だ。
質問1:「なんでキリンさんは首が長いの?」
A)「そうだね〜。高い木の葉っぱを食べるからじゃない?」
Q)「なんで高い木の葉っぱを食べるの?」
A)「なんでだろうね〜。アフリカのサバンナでは低いところには、あまり葉っぱがないからかな。」
Q)「なんで葉っぱを食べるの?なんで肉を食べないの?」
A)「そうだね〜。なんでだろうね。ライオンさんは肉食動物だけど、キリンさんは草食動物だからかな。」
Q)「なんでキリンさんは草食動物なの?なんでライオンさんは肉食動物なの?」
A)「どうしてなんだろうね〜。生き残るためにそうなったのかな〜。神様がそう造ったのかな。」
・・・
こういった押し問答が永遠に続き、普段無口な私は1日で1カ月分くらいのお話をすることになる。ちなみに、4歳の息子の動物に関する知識は31歳のハーバード大学院卒である私をはるかに凌駕している。最近は、魚と鳥のDVDを観まくってさらなるマニア度を拡げている。
「なんで○○なの?」の質問攻めは、この年頃の幼児の特徴だ。攻められる立場としては辟易するのだが、はっと悟らされることがよくある。先の質問は、人類に「進化論」という史上最大級の問いを投げかけたダーウィンの質問と同じだ。何も習わずとも人類最強の博士と肩を並べる出発点に立っているということだ。
質問2:「なんで夕日は赤くて、きれいなの?」
親子で夕焼けを眺めていると、当然かのように出てきた息子の質問。これは、私が思春期の頃にもった「改心的」な問いと同じだ。
私はこの問いによって、最も苦手な科目だった物理が、最も得意な科目となり、E判定だった東大に逆転合格した。そして、かねてからの「大きな問い」を解く旅に出ることになった。
息子は3歳にして、私の「改心的問い」に既に出会っている。そのこたえに出会えるまで、問いの心を持ち続けられるのかは、質問の話し相手である親にかかっているのかもしれない。そんな親になってしまった私は、息子の口を通して、かつての16歳の問いを16年ぶりに投げかけられることになったのだ。
「なんで夕日はこんなにきれいなんだろう・・・」
当ブログを応援して下さる方は1クリックお願いします→人気ブログランキング ↑↑↑これから書き始めようと思っている連載「学びの哲学」を書籍化したいと考えています。これまで7冊の本を書いてきましたが、今回はどこの出版社もOKを出してくれません。皆さんの1クリックで応援をお願いします!