僕の大学時代の卒業論文を指導してくださったのが、宮田秀明先生です。
宮田先生は、ヨットレースのワールドカップとも言われる「アメリカズ・カップ」のテクニカル・ディレクターを勤められた方で、技術とマネジメントの両輪を活用するMOT(Management of Technology)を日本でいち早く提唱した人です。
著書に『理系の経営学』や『プロジェクトマネジメントで克つ! 』などがあります。
東大工学部では、大学院レベルでMOT創立に寄与し、学部ではシステム創成学科設立に関わります。その中の知能社会システムコースは、ITとマネジメントを両輪にした、プロジェクト型教育中心のコースで、僕は、そこで学部時代学びました。
とはいうものの、宮田研究室は、「水槽」と呼ばれる巨大実験室があるくらい、船舶関係で有名なところでした。僕も、インターンシップは船舶関係の研究開発・コンサルタントをやっているところで行いました。しかし、当時の僕は船にさほど興味がなく、卒業後は東大も日本もあとにし、「文転」して国際開発や教育政策を研究しました。
ハーバード卒業後、教育、国際開発、NPOという切り口から日本財団に出会い、そこで働くことになりました。
実は、日本財団は正式名称を「日本船舶振興会」と言って、船舶海洋関係の振興・補助事業をかなりの規模で行っています。日本財団で働いていると、海・船とは切っても切れない関係になるわけです。
「船とはあのとき別れたはずなのに、回りに回ってきたなぁ」という感がものすごくあります。
上述の宮田先生は、日経BPで連載コラムを書いているのですが、今回の記事は「海の安全」という日本財団に深く関わるテーマで、おもしろく読ませてもらいました。「ウェザーニューズ」という気象・海象の予報サービスを世界のコンテナ船の約9割に提供している民間企業の話です。
「天気予報は気象庁」という固定概念をとっぱらう、新しいビジネスモデルのイノベーションに注目しています。似た例として、運輸省(現国交省)、郵政省と戦ったヤマト運輸の小倉昌男さんを挙げています。
実は、日本財団の主務官庁は国交省で、かつて小倉さんに評議員をお願いしようとしたとき、国交省から猛烈な反対があったそうです。霞ヶ関にたてついた小倉さんがよほど憎たらしかったのでしょうか。。
財団は国交省相手に訴訟を起こましたが、最終的には、当時の曽野綾子会長と古賀誠運輸大臣に、笹川陽平理事長と加藤紘一幹事長を加えたトップ会談で決着がつきました。
その小倉さんは、障害者も従事するパン屋・喫茶店の「スワンベーカリー」を始められた人でもあります。日本財団ビルの一階には、このスワンがあり(ここ)、人気を博しています。
最近は、精神障害者の就労支援をしている(福)はるの「パイ焼き窯」を見学したり、「スーパー中枢港湾」に指定された横浜港メガターミナルを見学し、大量のコンテナがシステマティックに巨大コンテナ船に積み下ろしされている姿に圧倒されたりしていました。(船中八策財団日誌)
これらの直近の体験が、宮田先生のコラムと重なったことは言うまでもありません。
人生航路の時々で刻んだ点を、今は、かすかな点線で結んでいます。
それらの線を結び、いつか大きな絵を描いてみたいです。