課題の山を一つ乗り越えたので、ほっとひと息。
チャイナタウンに飲茶(ヤムチャ)しに行きました。
貧乏苦学生の続く僕にとって、低サービス低料金の中国系スーパーやらバスやらはかなり有難い存在で、いつも利用させてもらっています。
そんな中国系のなかでも安さだけでなく中身で人気が高いのが「飲茶」。、
ボストンの人気飲茶店は他の州のものと比べてもレベルが高いらしく、さらに家からも歩いていける範囲にあるのですが、実は今回初めて行ってきました。
ジャスミン茶や烏龍茶を飲みながら、こんな感じのものが3-5ドル程度で食べれます。
甘すぎたデザート以外はどれもおいしく、僕は特に、エビのシューマイみたいなのが特に気に入りました。
そんな中、改めてすごいなぁと思ったのが、英語が全くしゃべれなくてもアメリカで生きぬいている中国人のたくましさ。
基本的にはイエス・ノーとジェスチャーで注文するわけですが、だいたいなんとかなってしまう。
一つのメニューを注文するのに、わけの分からないいろんなオプション(ドレッシングの種類とか、焼き方とか、パンの種類とか、あらゆるものがチョイスになっていて、自分的には逆にうざい)を聞いてくるアメリカ人ウェイターよりも、へたすると分かりやすかったりもする。
それはいいとして、彼らと話す(?)と英語をしゃべれなくてもアメリカで生きていけるんだということに、感嘆し、勇気付けられたりもします。
そういえば、事情は全く違うし、比較していいものか分かりませんが、ハーバードで同じ授業を取っているクラスメイトに、聴覚障害で手話で授業に参加している学生がいます。専属の手話通訳者(二人)を通して、教授やクラスディスカッションを「聞き」、時には手話で発言したりもします。
ディスカッショングループでたまに一緒になったりするのですが、僕よりも積極的に発言し、かなりしっかりしたことを言うので、すげぇなぁなんて単純に感動したりもします。
ヘレン・ケラーじゃないですけど、多くのハンディや、障害、孤独を乗り越えてここまで来たんだろうと思います。英語であるとか、貧しさであるとかは比じゃないんだろうなと容易に想像できます。
筆記でたまに話しますが、どういう生涯を経て、どういうビジョンを持っているのか、気になりますね。また、そういう障害を持つ方でも、意志と努力さえあれば、最高水準の学べる環境を提供する教育というのも関心がわきつつある今日この頃です。
英語のヘタさ加減は相変わらずですが、中国人に負けないたくましさ、(よい意味での)ずうずうしさと、障害物を乗り越える意志をもっとつけていかなきゃいかんと思う、飲茶のひと時でした。