本山勝寛 4kizフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

Multiple Intelligencesと多宗教教育

ほのかな温かさが舞い戻ってきたボストンからです。


ハーバードの教育大学院は、Project Zeroという芸術、人文、科学教育における理解・学習を深めるための有名な研究プロジェクトを主催しています。
その共同ディレクターでもあるハワード・ガードナーはハーバード教育大学院の看板教授で、認知教育学における第一人者でもあります。彼はMultiple Intelligences(多重知能)という概念を創出し、その著書はベストセラーにもなりました。

そのプロジェクト・ゼロが先日、ハーバードDivinity School(神学大学院)と共同で「宗教と教育」に関するフォーラムを主催しました。


ダイアナ・ムーア(Diane L. Moore)というProgram in Religion and Secondary Education (宗教と中等教育プログラム、PRSE)のディレクターがメインスピーチをしました。

彼女の基本的な主張は、

1)「宗教に対するIlliteracy」が世界的に進行している。
*illiteracyとは本来、読み書きができない「文盲」のことを指すが、彼女は宗教に対する無知をそう表現している
2)それが偏見や憎悪を拡がらせ、逆に多文化理解や平和的共存の努力を見えなくしている
3)初等・中等教育無宗派の立場から宗教について教えることで、そのReligious Illiteracy(宗教無知)を克服することができる

というものです。

9・11以降、アメリカではイスラム研究が盛んになると同時に、他宗教への理解も大きなテーマとなっています。ハーバードでも学部では、世界の宗教に関する授業が必須科目の一つとなる動きも出てきています。

しかし、最近のInteligent Design(ID理論、知的デザイナー)を学校現場で教えてよいかという議論でもあるように、政教分離の原則により、公立学校で宗教について教えることに関してはかなりナーバスでもあります。

しかし、ダイアナ・ムーアは、十字軍を教えるとき、ハムレットを教えるとき、宗教に対する深い理解がなければ、それらに対する理解もできないのではないかと提議します。実際、アメリカでは、植民地時代について学ぶときピューリタンについて必ず教えます。
つまり、宗教は社会・個人を形成する(してきた)重要な要素であり、その理解のために欠かすことができないものであるといことです。
これは、途上国の教育開発に関して研究している立場から、僕もよく感じることです。

そこで、も一つ重要な要素は、宗教的に多様な社会(特に最近のアメリカはそう)、世界であるのに、他の宗教について我々は全く知らないということです。
宗教に関する情報は、歪められた情報を流しやすいメディアか、宗派的観点しか持たない自分の信仰コミュニティの二つがメインで、それでは他宗教に対する本当の理解は生まれないとしています。

こういった観点から、社会・歴史・他者・多文化への深い理解、自己に対する立体的内省を進める上で、学校で宗教について教えることは必要不可欠だというのです。

でも、ミッション系の私立ならまだしも、公立で宗教を教えるのは、、という意見は当然あるでしょう。
これは日本の教育基本法改正の議論でも、「宗教的精神の涵養」を盛り込むかということでもめているところだと思います。(関連記事
しかし、ここで考えなければならないのは、私立や私的な教会で宗教を教える以上、一宗教・一宗派に限った宗派的な宗教教育に限られてしまうという点です。これでは、いつまで経っても、他宗教への理解は深まらないというのです。
(ぱっと見では、多宗教が混在しているように見えない日本では、この問題よりも、いかに宗教なしで倫理道徳を教えるかのほうが議論の対象になっていますが)

たとえば、イスラム諸国の例で考えて見ると、公立学校でイスラムの教えの授業をするのはどうか、と西洋や日本のコンサルタントは一見考えてしまうでしょう。しかし、公立で「しっかりと」教えなければ、偏った危険な宗教教育が他で教えられる危険が高いわけです。だから、学校で正式に教えなければならない事情があるわけです。

宗教はセンシティブですごく私的なものだという固定観念にとらわれると、いつまで経っても他者への理解は進まず、いつまで経っても、宗教が「私的なもの」「セクト的なもの」で、開かれたものになり得ないのではないかと思います。

学校でも、政教分離と教師の宗教無知から、真っ向むかって取り扱われることはありません。歴史の時間で簡単に触れられることはあっても、宗教(Religions)を体系的に学問的に教えられる教師はほぼいません。
全米でもこの種のプログラムは、ハーバードのものが唯一のようです。
Multiple Intelligencesを推進するハーバードならでは、そして信教の自由を求めて神学校として始まったアメリカ最古の大学ならではのプロジェクトだと感じます。


日本人留学生が、留学先で「宗教は何か?」と聞かれて、「信じてない」とか「唯物論だ」と答えると、首を傾げられるという話はよく聞きますが、世界一のReligious Illiteracy国の一つでもある(?)日本にとっても示唆ある考えだと思います。


<参考>
ムーアの論文
ハーバード・ギャゼットの記事



しばらくさぼっていたので、だいぶ落ちてしまいました。
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