本山勝寛 4kizフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

しなやかな強さ〜ゆとり教育と米NCLB法

白鳥や かなしからずや 海の青
空の青にも染まずただよふ


外に出ると「痛い」季節になりました。

厳しいと言われるボストンの冬がついに到来です。
そしてハーバードで迎えた初めての学期も残すところ1週間となりました。

先日は2回目の発表を終えましたが、今日はそのことについて書きたいと思います。

今学期とっている「都市貧困と教育政策」の授業では、アメリカで深刻な都市の貧困問題、移民問題と教育政策についての絡みの議論です。
周知の事実だとは思いますが、アメリカでは80年代ぐらいからものすごい勢いでヒスパニック移民が増え、黒人を抜いて「最大のマイノリティ」になっています。移民であることから、言語の問題に加え、そもそもヒスパニック(言語の問題がない移民二世・三世でも)は黒人と同様に貧困率が高く、教育レベルも低いという統計がでています。(同じマイノリティでも、アジア系になると、平均収入は白人並み、教育水準は白人を越えています。)
教育レベルが低い(大学進学率が低い、高校中退率が高い、テストの点数が低い)と、当然、貧困から抜け出しにくく、教育格差が経済格差を再生産するということになってしまいます。特に、アメリカは日本よりも「学歴社会」が進んでいると言ってもよいくらい、高校中退、高卒、大卒、修士、博士で歴然と平均賃金が変わってくるので、さらにこの悪循環が当てはまることになります。

そういった貧困、マイノリティ、移民における教育問題を中心に、アメリカの初等・中等教育の水準は以前から国際的に低いとされ(OECDPISA、TIMSSなど)、問題視されていました。
最も有名なのは、1983年レーガン政権で出された“A Nation At Risk”(『危機に立つ国家』)という報告書で、アメリカの経済危機の原因は公教育の低下にあるとして、「強いアメリカ」を作り出すための教育改革を訴えています。基本的には、卒業要件の強化、標準テストなどの測定可能な基準によるAccountability(説明責任)の強化、教師を尊敬される職業にする、などが大きな枠組みとなっています。

それに続いて、最近、最もアメリカを騒がせているのがNo Child Left BehindNCLB、落ちこぼれ0)と呼ばれる教育政策(法)です。
これも、レーガン政権の教育改革の流れを継ぐもので、ブッシュ政権共和党民主党両党の合意で承認した初等中等教育法のようなものの改訂版です。

公教育における“Accountability”“Standard”をさらに強化したもので、標準テストで決められた最低基準を下回る生徒(落ちこぼれ)を、2013年度までに0にしようという野心的な目標を掲げています。
そのために、州と各学校は年間の目標設定をし、目標が達成されなければ、各種の取り決め(家庭に転校の選択肢を与える、民間の補習を提供する、学校運営を見直す、民間委託する、など)に従わなければなりません。

公教育の再生、特に、落ちこぼれをなくすという政策には、多くの国民が賛成するところだとは思いますが、教育担当者にはなかなか不評なところもあるようです。これだけ、今のアメリカには野心的すぎる目標を掲げ、さらには厳しい規則を設けているので、現場の教師、学校運営者はたまったものじゃない、といったところでしょう。
さらには、基本的に州に権限があった教育政策に対して、連邦政府が干渉しすぎだという行政上の摩擦もあり、これだけの改革を行うための十分な財政支援がないという批判もあります。

僕がとっている授業担当者のゲリー・オーフィールド教授は、ハーバードの“Civil Rights Project”を先導し、教育における人権運動の第一人者・伝説的存在でもあるのですが(来年度から彼とともにCivil Rights ProjectはUCLAへ移転することがつい最近決まり、各紙で報道されていました)、この教授もNCLBにはかなり批判的です。
この法律は名目上では、落ちこぼれをなくすというマイノリティ救済の観を呈しているが、実際はマイノリティが苦手な厳しいテストを強調して、落第生をさらに増やしてしまう、というのが基本的な主張だと思います。

前提の話が長くなりましたが、僕は、この伝説の教授の主張には賛成しかねています。
やはり、日本の「ゆとり教育」と公教育の低下を目撃するに、アメリカの抱いた“A Nation At Risk”という危機感は僕も覚えざるを得ないです。
安倍首相が教育再生を掲げていますが、僕もその意識と目的には賛成で、今からでも日本に出向いて、身を捧げたい気持ちでいっぱいです。
NCLBや日本の教育再生(全国共通テストの導入や教師資格更新性などアメリカの流れと基本的に一致)の細かい制度には、思うところがありますが、今回は詳しくは触れません。

僕がこの授業を通して感じたこと、そしてプレゼンで行ったことを簡単に述べます。


貧しい者に対して必要なのは同情ではなく、努力すれば報われる十分な機会である。
先天的なもの、社会経済的な(Socio-Economic)な背景で、その人の能力を制限してみてはいけない。もちろん、環境的には不利な点が多いことがあるだろう。
しかし、目の前の飢えてている者に魚を釣ってあげるのではなく、魚の釣り方を何時間・何日かけてでも教えることこそが、真の教育であると思う。
それが人間の尊厳を尊重することである。


落ちこぼれをなくすために、スタンダードを下げてはいけない。
バーを乗り越えるための方法と、意思を教えなければならない。


かなり議論は跳躍していますが、人権を考えるときに決して忘れてはいけない重要な考え方だと思っています。
これは、僕自身が、米だけで飢えをしのぎ、塾どころか問題集すらろくに買えずに、東大に合格し、ハーバードに来た体験から感じ取ったことです。
もちろん弱者に対するいたわりの気持ちは忘れてはいけない。しかし、そのやわらかい気持ちの上には、人間は誰しもが強くなれるという、私自身の強い意志が必要だと思う。

そういう意思表示を柔らかに、学問のルールに則って行うために、プレゼンは「日本のゆとり教育政策と公教育の低下、教育格差の拡大」についてやりました。
NCLBを批判する教授に対する公然なる批判といってよいでしょう。(つまり、教育における高いスタンダードを批判して、教育にはもっとゆとりがあったほうがよいという論者に対して、そうではないんだよ、と言ってるようなもの。この授業の成績がどうなるかは、まったく分かりません・・・)
僕の結論は、単に「ゆとり教育は間違えだから、もっと厳しい教育をしろ」というものではなく、「教育の需要と供給サイドにおけるニーズのギャップを埋めなければならない」という結論を出しました。

教育に必要なのも「しなやかな強さ」だと思っています。


具体的な政策議論は、またの機会に書きたいと思います
外の冷気とともに論文・発表の風が吹きすさんでいるので、備えたいと思います。


しばらくさぼっていたので、だいぶ落ちてしまいました。
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