本山勝寛 SNSフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

阪神から20年、3月には国連防災会議が仙台で

1月17日。今日は阪神・淡路大震災から20年の節目だ。亡くなられた6434人の方々とその家族に想いを馳せ、祈りを捧げたい。多くの方々が命をかけて示してくれたその教訓から、日本が防災に力を入れてきたことは確かだ。ボランティア活動も盛んになり、その実績を土台に1998年にNPO法が成立、日本にNPOが生まれるきっかけにもなった。防災の取り組みは政府、自治体だけでなくNPOや自治会、コミュニティレベルでの参画が進み、2005年には復興の経験を土台に第2回国連防災世界会議を神戸で開催、「兵庫行動枠組2005−2015」を採択した。日本が世界をリードして防災の重要性を発信した成果だ。

それからたった6年後、阪神淡路から16年後、2011年3月11日、「想定外」の東日本大震災を経験した。防災や各専門のNPOが広域にわたる被災地で支援・復興活動に取り組んだが、それでも間に合わなかった。犠牲者は亡くなった方、行方不明の方を合わせると18,000人を越える。東日本大震災で多くの尊い命をなくし、そして多くの教訓を得た。私たちはこれを忘れ、風化させてはならない。

その教訓の一つに、「障害者の死亡率が住民全体の2倍にのぼった」という悲しい事実がある。障害のある方、高齢の方、子どもや妊産婦など、特別なニーズを抱える方々が、災害発生時に逃げ遅れ、避難所生活で困難にあうことは、それまでもなんとなく分かっていた。しかし、十分な対策がとられていたとは言いがたい。特に、障害者の視点が防災において欠けていた。それが「死亡率2倍」という数字で明確に示された。こういったデータが示されたのは、世界的にも初めてのことだ。

「兵庫行動枠組」でも、障害者に関する記述は1箇所のみで、非常に限定的なものだった。国際的な防災会議においても障害者がテーマになることは皆無だった。そこで、私の勤める日本財団は障害者団体と協力して、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)や各国政府、NGO等に、障害者と防災を重要テーマとして取り扱うよう働きかけてきた。特に必要なのは、障害者自身が防災計画や訓練に参画し、その視点から全体の防災を一緒にデザインする「障害者インクルーシブな防災」だ。障害者を支援が必要な弱者としてのみ捉えるのでなく、全体の防災に貢献できる主体的なアクターとして捉えること、ときにはその視点により「イノベーター」になり得るのだ。たとえば、障害者を配慮して設置された駅のエレベーターやスロープは、お年寄りやベビーカーを利用する子育て世帯にも欠かせない。視覚障害のある方に配慮した音声放送や、聴覚障害のある方に配慮した文字による情報掲示は、障害のない方にも情報をしっかり伝達するのに役立つ。

今年の3月14日から18日、第3回国連防災世界会議が今度は仙台で開催される。311から4年だ。世界各国から政府首脳はじめ4万人近くが集まり、700以上の民間団体も各種防災イベントを企画する。ここで、次の新しい国際的な防災枠組が採択され、各国政府・自治体の防災における指針となる。新しい防災行動枠組に障害者の視点がしっかりと盛り込まれるよう、そして国連防災世界会議に障害者がしっかりと参加し発言できるよう、あらゆるところに働きかけ続け、ようやくその方向性が見えてきた。

阪神淡路大震災から20年、東日本大震災から4年。次の大災害は、必ず、遠くない未来に起きてしまう。人間が、自然災害を止めることはできない。しかし、その災害に備え、リスクを軽減することはできる。そのときに、一人でも多くの命を救えるように。年齢や性別、障害の有無の違いによって、救われない命がないように。

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