まなブロ by 本山勝寛 教育イノベーター・日本財団子どもの貧困対策チームリーダー

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

両陛下のハンセン病療養所訪問が投げかける忘却との闘い

天皇、皇后両陛下が宮城県ハンセン病療養所東北新生園を訪問され、国内のハンセン病療養所14施設全ての入所者との交流を果たされた。このニュースはマスコミでもトップニュースとして報道され、普段は地味な話題としてあまり報じられないハンセン病関連としては異例の扱いだった。以下、NHKの報道を一部抜粋する。

はじめに、療養所で亡くなった430人余りの遺骨を納めた納骨堂で、献花台に花を手向け亡くなった人たちの霊を慰められました。続いて、集会室に足を運んで入所者たちと懇談されました。
この施設で暮らす87人の元患者は、平均年齢が84歳余りと高齢化が進んでいて、両陛下は、手を握ったりひざに触れたりしながら、一人ひとりにことばをかけて回られました。天皇陛下は「厳しい日々を過ごされたとお察ししています」などと苦労をねぎらい、車椅子の入所者には、かがみ込んで「どうぞお元気でね」とことばをかけられました。
皇后さまは、両陛下の訪問に感激して「長生きしたかいがありました」と話す車椅子の入所者の前でしゃがみ込み、手を握りながら「元気でいらしてくださってありがとう。これからもお元気でいらしてください」と励ましのことばをかけられていました。

ハンセン病は、細菌により皮膚や神経が冒される病気で、患者は感染を防ぐためとして、強制的に療養所に隔離されました。感染力が極めて弱い病気だと分かったあとも偏見は残り、入所者は、家族やふるさとから引き離されたままの状態が続きました。両陛下は、病気に対する誤った認識や政策で差別や偏見に苦しんできたハンセン病の元患者の人たちに心を寄せ続けられてきました。
昭和43年に皇太子夫妻として鹿児島県の療養所を訪問して以来、半世紀近くにわたり、全国各地の療養所に足を運んで入所者を励まされました。
去年までに、全国14の療養所のうち12の施設を訪ねるとともに、交通の事情で訪問がかなわない香川県の島にある療養所についても、入所者と懇談する機会を持たれました。そして、今回の宮城県訪問にあたり、最後に残った東北新生園を訪ねたいという強いお気持ちを示されたということです。
今回の訪問で、両陛下は全国にあるすべての療養所の入所者との懇談を果たされました。

大半のマスコミにとって、そしてマスコミが読者・視聴者として想定している一般の人々にとって、ハンセン病は「過去の病気」、「終わった問題」である。ハンセン病に関わる話題やニュースがあっても、取り上げられないし、関心をもたれることはない。

日本はハンセン病の患者がほぼゼロになって久しく、療養所に入所している回復者の方々は平均年齢82歳と高齢化している。つい最近も、回復者当事者として差別に闘ってきた二人の代表的人物が亡くなられたばかりだ。そして、強制的な断種、堕胎という間違った政策を国が続けてきたため、大半の回復者には子どもがいない。そのような極端な政策を徹底してきたのは世界でも日本だけだ。それも、当時はそれが正しく、善意で実践されてきたのである。戦前だけの話ではない。らい予防法が廃止されたのは1996年のことだ。

このことをおもうときに、両陛下の療養所訪問に関する報道の仕方も、何か美談で終わらせて、差別がどこか他人事、遠い過去のことのように追いやられているように思えてならない。隔離政策を実施してきたのは他の誰でもなく政治であり、行政であり、医療関係者であり、宗教関係者であり、それを助長してきたのはマスコミであり国民だ。そして、その政策のために皇室もシンボルとして利用されてきたことも変えられない事実だ。繰り返すが、それが「善意」だったのである。

差別は決して悪意のみから生まれるわけではない。良かれと思うこと、社会全体にとってはそれが必要だと思うこと、時に善意や使命感からでさえ差別が実践される。

過去のことを忘却することは簡単だ。マスコミも政治も、自分たちの責任など今や微塵にも感じていないのかもしれない。そして、同じような過ちが繰り返されてしまうのだろうか。
私自身の自戒の念も込めて、忘れてしまわないように。

どうか、わたしの言葉が、書きとめられるように。
どうか、わたしの言葉が、書物にしるされるように。
鉄の筆と鉛をもって、
ながく岩に刻みつけられるように。
旧約聖書ヨブ記」)

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