まなブロ by 本山勝寛 教育イノベーター・日本財団子どもの貧困対策チームリーダー

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

なぜ大学で学ぶのか?〜西欧の近代化を可能にした学びの哲学

もうすぐ国立大学の2次試験です。
14年前、私も東大受験を前に、緊張しながら大分の片田舎から一人上京したことを覚えています。受験前日、東京大学本郷キャンパスを下見にいくと、東大の象徴である大きな講堂のある建物がありました。安田講堂と呼ばれるその建物を目の前にしたときに、頭が「カーン」と打たれるような衝撃を覚え、「東大が私を呼んでいる」という感覚を抱きました。その感覚は、先日紹介した敗戦最初の東大総長、南原繁の敗戦直後のスピーチ「大学の使命」を読んだとき、よりはっきりとしたビジョンを与えられました。
「大学の使命」とは、まさに「なぜ人は学ぶのか」という問いと重なります。
現代社会は大学全入時代に入ったと言われれます。誰もが何も考えずに、何も努力しなくても大学に入れる時代。そんな時代に大学の使命を考え、なぜ学ぶのかをつきつめて考える機会は無きに等しいのかもしれません。
しかし、私は叫びたい。
大学に入ろうとする者、大学で学ぶ者、大学で教える者、すべての人に。これから重要な日にのぞむ受験生にも。
大学の使命とは究極的に何か、なぜ自分がそこで学ぶのか、徹底的に考えてほしい。

それを叫ぶことが、今の私の使命だと思っています。

今日は、南原繁の日本史上最高のスピーチから紐解いて、西欧の近代化の学びの哲学について考えてみます。

南原繁が語ったように、現代社会を形作ったともいえる西欧の近代化には、ルネッサンス宗教改革があった。私はこの2つこそ、人類の近現代史を開いた根源である「学びの哲学」だと考えている。そこで、西欧社会の学びにおける基盤的思想ともいえるキリスト教と、それを基盤にした大学の歴史、そして宗教改革の歴史をたどりながら、学びの哲学について考えてみたい。私自身はこのことを、東大の学生時代から韓国留学、そしてハーバード留学にいたる期間で考えてきたことだ。
 そもそも、西欧型の大学(university)が成立したのは中世11、12世紀ごろのヨーロッパで、キリスト教聖職者を養成する神学部を中心にイタリアでボローニャ大学イングランドオックスフォード大学、フランスでパリ大学などが創設されたことが起源になる。
 神は存在するのか、いかなる存在なのか。神と人間との関係は。宇宙はどのようにして創造されたのか。人間が長い歴史の中で問い続けてきた根本的な問いを徹底的に、専門的に研究する機関が大学の始まりなのだ。そこから、人間の問題―人生の目的とは何か、幸福とは何か、人はいかに生きるべきか、認識とは何か―といった哲学が派生し、多数の人間が生きる社会のルールを成立させるための法学や、神の被造物である万物を研究する自然科学が派生した。
そうこうしているうちに、キリスト教の中でも既存の教会のあり方に疑問を提示し、聖書の原点、あるいはイエス・キリストの原点に帰るというプロテスタント運動が展開されるようになる。宗教改革で有名なルターはドイツのヴィッテンベルク大学の神学教授であり、ルター以前のフスはチェコのカレル大学学長をつとめた神学者だ。

これは、カトリック教会が定める教えをそのまま受容し、覚え、伝達するという姿勢ではなく、信仰とは何かを徹底的に問い直し、神と自己、イエス・キリストと私との一対一の関係を見つめ直す運動である。また、教会が社会の権威・権力の一角をなすなかで露呈されていた社会システムの矛盾に疑問を投げかける運動でもある。
 私は仕事でチェコに2度ほど訪れたが、首都プラハの旧市街広場にあるフス像を見にいったとき、西欧の歴史をずしりと感じたことがある。宗教改革を先導し、「私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう」と叫びながら火刑に処されたフスはチェコで預言者、殉教者として尊敬されている。彼の最期の言葉「真実は勝つ(Veritas vincit)」は外国支配が長く続いたチェコ人の心のよりどころとされているという。真実を命懸けで追究するという究極的な学びへの姿勢が、宗教改革という歴史的な大転換をもたらしたのだ。ちなみに、ハーバードの校章にもこの「Veritas」が刻まれおり、「真実は勝つ(Veritas vincit)」あるいは「真理は汝らを自由にする」(Veritas liberabit vos. )はハーバードのモットーでもある。この言葉を知らないハーバードの学生はいないと言ってもよいだろう。

 ドイツの社会学者マックス・ウェバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、ヨーロッパに資本主義が発展したのは、この運動によって定着した精神、プロテスタンティズムによるところが大きいという学説を提示している。すなわち、自らの労働・職業が神から与えられた使命、天職であるととらえ、働くことが生活を維持し、お金をかせぐという以上の意味を持つという倫理的な価値観が資本主義を成立させる基盤となったというのだ。見方を変えると、「なぜわたしは働くのか」を思想的に、宗教的にとことん追求した「仕事の哲学」が資本主義による経済的発展を生んだともいえるのではないだろうか。
 大学の起源と神学の関係に話しを戻すが、ハーバードなどアメリカの伝統ある有名大学も、プロテスタントの宗教的移民が設立した神学校から出発しているところが多い。1636年に創設されたハーバードはアメリカで最初の大学だが、ピルグリムファーザーズと呼ばれる開拓者が自分たちの信仰を実践する地を新大陸に求めて移住してからわずか10数年後、教師1人、生徒9名の寺子屋のような神学校として始まったとされている。
 ハーバードに今も神学部があるのはもちろん、創設以来380年間近く、毎朝欠かさず祈祷会が行われており、卒業式は牧師の祈祷によって式典が始まる。私が聴講した「ハーバードの歴史と歴代総長」という神学大学院と学部の共同授業では、牧師でもある担当教授が「ハーバードのDNAには宗教的イマジネーションが生きている」と述べていたことが印象的だった。
 アメリカという国は歴史の浅い国だが、ヨーロッパで命を懸けて真実を追求した宗教改革が飛び火して、その精神の土台の上に創られた国家ともいえる。アメリカに行くとまず初めに目につくのがマクドナルドやスターバックス、ウォールマートといった消費文化だ。しかし、じっくりとその社会の根を観察してみると、宗教的、哲学的な真理を求めて新しい世界を開拓してきたDNAが息づいている。真理とは何か、生きることと学ぶことの意味、なぜ学ぶのかを命懸けで問うてきた歴史がある。さらには、政治的な迫害を逃れ亡命してきたユダヤ系移民をはじめ、人生をかけて新境地を求め、学びのなかに光を見出してきた人々が社会を形成してきた。
 西欧の近代化、そしてアメリカの発展を可能にしたのは、命懸けで真理と正義を追求してきた大学と、その根底にある学びの哲学であったのではないだろうか。

大学に学ぶ諸君は、人類がなぜ大学を創ったのかその歴史を訪ね、大学の使命を探求し、自らがなぜそこに学ぶのか考えてみてほしい。そして大学を卒業した人も、その学びは終わっていないはずだ。

当ブログを応援して下さる方は1クリックお願いします→人気ブログランキング        ↑↑↑連載「学びの哲学」の書籍化に向け、皆さんの1クリックで応援をお願いします!