本山勝寛 4kizフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

お母さん、死んでもどこかにいるの?

母親のことについても書いてみたい。
子どもの学びにおいて、父親もさることながら、母親の影響が大きいことは言うまでもない。偉人がうまれた背景にはその母親があったということは、よく言われることだ。


(写真:兄妹5人と闘病中の母、中央前が筆者)

私の母は5人の子どもを生んだ。ひとに5人兄妹だと言うといつも驚かれていたが、そのすごさの一端が分かったのは、自分が親になってその苦労を知ってからのことだ。といっても、出産ができない男である私には、どんなに努力をしても分からない境地だ。

私が知っている母はふくよかな体で、いつもにっこりと笑っていた。母は仕事をしていたので家にいることが少なかったが、夜寝る前になると寝床で本を読んでくれた。兄妹が多く、特に歳の近い一個上の兄と三つ下の妹と私で、母を取り合った。主張の強い兄と末っ子の妹は母の両脇をいつもおさえていた。昔から遠慮がちだった私は、母の頭の上に寝そべって聞いていたが、自分だけの特別な位置にいるようでうれしかった。母を思い出すときは、いつもあたたかい気持ちなる。

母は自転車に乗れなかったので、買い物に行くとき荷物を乗せられるよう、私たち兄妹に自転車でお手伝いをしてくれと頼むことがよくあった。母と買い物に行くと、好きなものを買っていいよとお手伝いのお駄賃100円をもらえるので、私たち兄妹はウキウキして買い物に行ったものだ。それに、母の力になれることがうれしかった。我が家では、毎月のおこづかいなるものがなかった。その代わり、何かのお手伝いをするときに、少額のお駄賃をもらっていた。肩たたきとか買い物とかだ。

私が母に初めて一人でのお買い物を頼まれたときのミッションは、ミンチ肉だった。その晩、我が家のおかずはハンバーグになる予定だった。母から「細かく刻まれたお肉を買ってきてちょうだい」と言われ、ドキドキしながら必死で探して買ってきた。母に買ってきたものを渡すと、母は少し笑って「ありがとう」と言ってくれた。しかし、その晩はなぜか、食卓にハンバーグは出てこなかった。今考えると、私が買ってきたのはミンチ肉ではなく細切れ肉だったのだ。

私がお駄賃をもらっていたこととして、他に散髪がある。我が家では、床屋ではなく母が髪を切ってくれていた。私は、母の散髪技術ではかっこよく切ってもらえないと思っていたので、すごく嫌だったのだが、お駄賃がもらえるから我慢していた。母は「髪を切る練習するのにお手伝いしてほしいから」と言っていたが、床屋で切るより100円あげたほうが安くすむからだったのだろう。しかし、年頃になった私は遂に床屋に行くことになった。1万円札を渡され2千円で髪を切ってもらい、8千円のおつりを持って帰ってくるはずだった。しかし、その8千円がポケットからなくなっていたのだ。雨のなか半べそになりながら探し回ったが見つからなかった。トボトボと家に帰り、そのことをためらいながら母に告げると、「雨のなか大変だったね。正直に言ってくれてありがとう」と言って、散髪したての私の髪をなでた。

母は私に小さな挑戦をさせながら、失敗するときも成功するときも、あたたかく見守ってくれていたのかもしれない。母親の愛が与えてくれる安心感、絶対的肯定感が、挑戦への背中を押してくれ、失敗からの立ち直る力を与えるのかもしれない。

そんな母が癌になったのは、私が小学5年生の頃だった。余命1ヶ月と宣告されてからも、2年間ほど一緒に過ごすことができた。闘病生活のなかで、ふくよかだった体はどんどんやせ細っていった。一緒に買い物に行くこともあったが、その頃にはゆっくりとしか歩けなくなっていた。私は自転車ではなく、母の手を握って引っ張って歩いた。手のしわを合わせながら。やせ細った母の手の感触は今でも忘れられない。

母はついにこの世を去ることになった。私が中学に入学する直前だ。最期の最期まで、母が亡くなることは考えられなかった。絶対によくなると思っていた。しかし、母は再び息をすることはなかった。私が始めて直面した身近な人の死だった。

「なんでこんなに好きな母が死んでしまったのだろう?」「なぜ人間は死ぬのだろう?」「そもそも人間は何のために生きるのだろう?」「死んだらどこに行くのだろう?」「お母さん、死んでもどこかにいるの・・・?」それまで考えたこともない疑問がたくさんわいてきた。そんな疑問を持つ私を、母はいつものように、あたたかく見守ってくれている気がした。

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