本山勝寛 4kizフォーキッズ代表 公式ブログ | Katsuhiro Motoyama's Official Blog

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団で教育、国際支援、子ども支援事業に携わり、EdTechスタートアップを起業。 子供向けSNSフォーキッズを立ち上げる。『好奇心を伸ばす子育て』『最強の独学術』等著書多数。6児父4回育休。

これ読んでみーへん?〜知のライバルとサンクチュアリ

幼児を観察すれば分かるように、本来、すべての人間に天賦の才として与えられた学びへの渇望。「なんで!?なんで!?なんで!?」「知りたい!知りたい!知りたい!」という気持ち。しかし私たちは家庭や学校環境の悪弊のなかで、この天賦の才がそぎ落とされ、学びへの渇望感が減速させられてしまう。そして辿りつくのが「なんで勉強しなきゃいけないの?」という疑問だ。この疑問に対して、本稿を通してじっくりと考えていきたい。
そのヒントを探る手始めとして、兄妹関係と友人関係という「横の関係」を考えてみている。学びへの渇望感を減速させてしまうものもあれば、逆に加速させてくれるものもある。その一つが、いわば「知のライバル」だ。

朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。

私の場合も、朋は遠方からやって来た。
血を吐くような受験勉強の末、晴れて東大の赤門をくぐった私は、ベレー帽をかぶって登山バックを背負い関西弁を話す変な男と遭遇した。偶然にも同じ下宿先で一緒に生活することになった関西弁のこの男―ベレー帽姿にちなんで、ここでは「画伯」とでも呼ぼう―が、私にとっての知のライバルとなった。

入学後の間もないころ、画伯は私に「これ読んでみーへん」と、簡単に白黒印刷された薄い小冊子を手渡した。短い小説だった。違和感のない、澄んだ気持ちの読後感を覚えた。読み終えたのち、これが画伯自身によって書かれたものであること、そして大人が応募するような何かの賞を取ったものであることを知らされた。同じ理科一類に入学した同い年の人間が、小説を書いて賞を取った??高2になって初めて『竜馬がゆく』で小説を読破し、本の味を知ったと思ったらすぐに受験勉強に突入してしまった自分にとって、考えたこともない世界だった。

画伯はさらに、実家から送られてきた何箱にもなる段ボール箱から無数の本を取り出し、下宿先の本棚に並べた。私の本棚には大学の教科書しかなかった。あまり聞いたこともないが、何だかすごいことが書いていそうな画伯の本を眺めながら、知的好奇心とライバル心が頭の中にフツフツと沸いてくる音が聞こえた。

画伯とは大学キャンパスで会うこともしばしばだった。連絡を取り合うでもなく偶然見かけるのだが、会うのは決まって大学生協の本屋か図書館だった。画伯はよく哲学書のコーナーにいた。ニーチェハイデガーフッサールフーコーといった自分には記号にしか思えない本を、半ば興奮気味に次から次に手に取ってめくっていた。あまりにも楽しそうなので、自分も見よう見まねで立ち読みするようになった。

やがて自分も画伯と競るように本を買い漁るようになり、本棚が段々と埋まってきた。たいていはブックオフで100円で購入したものだ。ジャンルも小説、哲学、歴史、科学、経済学、経営学、心理学、神学と多岐にわたるようになった。

多少の知識がついてきた私は、画伯や他の友人らと世界のあり方や哲学的な問いについて議論し合うようになった。そして、そんな議論を土台に各自が書いた論考やエッセイなどの文章をまとめた同人誌を発刊し、東大生協でも販売することにした。その同人誌のなかで、画伯は私の書いた論文を参照した批評文を寄せた。私も画伯の論文を引用し、ポストモダンと性概念に関する文章を書いた。まるで、思想で世界を変えていったマルクスエンゲルス―彼らとは思想的に闘っていたのだが―になったような気分だった。最高学府と呼ばれる東大の講義では決して得られない「知の興奮」があった。私たちはやがて、元首相や思想界のスターを学園祭に招聘して議論するという企画を考え出し、その一部を成功させた。

日本の大学生は皆、5月病という病にかかる。がんばって受験勉強して晴れて憧れの大学に入ったものの、大学の授業は思いのほかつまらない。知の渇望感が失われ、何のために大学に入ったのか、何のために学ぶのか、分からなくなりやる気を喪失する。東大生とて例外ではない。たいていは遊びサークルに走るか、相も変わらず成績にあくせくして試験対策に奔走するか(東大には試験用プリント「シケプリ」と呼ばれる試験準備互助システムが定着している)のパターンである。ここに日本の悲劇がある。私自身も、東京大学の眠い講義に失望した一人だが、幸運にも「知のライバル」に恵まれたことで、知的好奇心が爆発した。大学4年間であらゆるジャンルの本を千冊以上は渉猟した。

その千冊のなかには画伯から借りて読んだ本も多い。最も印象に残っているのが、『サンクチュアリ』というマンガだ。ポルポト派による虐殺の嵐が吹きすさぶカンボジアで生死の境を共有した二人が、帰国後、日本の姿に失望してある約束をする。その約束とは、一人が政治という表の世界で、もう一人が極道という裏の世界でトップに立ち、日本を変えること。二人はじゃんけんをして、どちらがそれらの道を行くかを決めた。サンクチュアリを共有したこの二人に、私が自分と画伯を照らし合わせたことは言うまでもない。知のライバルは、マンガからでさえ学びの興奮をもたらす。

サンクチュアリ (1) (ビッグコミックス)

サンクチュアリ (1) (ビッグコミックス)

「これ読んでみーへん」
画伯から手渡された自作小説、自分たちの論考を載せて発刊した同人誌、そして回し読みしたマンガ。私の学びを加速させたのは、この言葉だった。

学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。
朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。

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