まなブロ by 教育イノベーター本山勝寛

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

韓国誌への投稿〜内村鑑三と金教臣、ハンセン病

だいぶ前のことですが、韓国のハンセン病機関紙に投稿した文章を掲載します。歴史には、忘れられてはいけない歴史があると思います。

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日韓無教会交流史とハンセン病〜小鹿島を訪ねて

3月上旬、韓国のハンセン病関連施設を視察する機会を得て、かつて世界最大のハンセン病療養所があった小鹿島を初めて訪ねた。普段は日本財団ハンセン病の取り組みのなかで、インドやアフリカなどの途上国に出張に行くことが多いが、歴史的にも日本との関係が深い韓国の地を訪ね、新たな発見が多かった。そのなかで個人的に特に興味をもったのが、日韓の交流史とハンセン病に関連する一人の人物、金教臣である。

金教臣(1901-1945)は日本植民地時代に朝鮮無教会主義者として活動し、雑誌『聖書朝鮮』の発行や教育活動などを通して、「朝鮮産キリスト教」の確立と、「聖書的な真理の基盤の上に朝鮮の建立」を目指した人物だ。無教会主義は、既成キリスト教会から異端視され、アウトサイダー的な立場にあったため、韓国でも金教臣の名を知る人は少なく、今回の訪問時に尋ねてみた韓国の方の中でも知っている人はいなかった。そんな人物に私が興味を持ったのは、彼が内村鑑三の弟子として無教会主義の強い影響を受けたからだ。

日本で無教会主義運動を展開した内村鑑三(1861-1930)は世界的ベストセラーで今も多くの日本人に愛読されている著書『代表的日本人』などで有名な思想家、宗教者だ。彼から聖書を学んだ弟子には、東京大学の総長をはじめ著名な人物も多い。“I for Japan; Japan for the World; The World for Christ: And All for God”という言葉の通り、愛国者としても知られる。内村の日記を読むと、当時日本留学していた金教臣が内村のロマ書講義を聞いて涙ながらに感想を述べたのに対し、内村が感動し、「将来、余を最もよく解してくれる者は、あるいは朝鮮人の中より出づるのであるかも知れない」と綴っている。金教臣の言葉“Bible and Korea, Bible to Korea, Koran on Bible”はまさに内村の言葉と呼応しており、彼は内村から愛国心―祖国を真に愛するという姿勢―と聖書を学んだのだ。

そんな強い信念で結ばれた日韓交流史に興味を持っていた私は、今回小鹿島を訪ねることを機に金教臣の名前に触れることになり驚いた。彼が発行していた雑誌『聖書朝鮮』に小鹿島のハンセン病患者との手紙のやり取りが幾度となく公開されていたのだ。彼は信仰によって逆境を克服するハンセン病患者たちの躍動する生命の力に衝撃を受け、小鹿島に収容される5000人の兄弟姉妹たちに福音を伝えることを決意し、何度も小鹿島を訪ねるようになった。ハンセン病は当時まだ不治の病であり、業病として人々から忌み嫌われていたハンセン病患者のために尽くすという行動は稀有な存在だった。一方、小鹿島のハンセン病患者たちは、『聖書朝鮮』を宝物のごとく扱い、「先生が送ってくださった聖朝誌(『聖書朝鮮』)を無力な私は手にして黙々と見ながら抑えきれない涙を流す、小生の心霊には愛慕する聖朝誌を耽読する前から口では申しきれないほどの喜びに溢れ、その上、霊的にも満ち溢れる次第でございます」と述べている。金教臣とあるハンセン病患者がやり取りした以下の手紙には、絶望の淵から光を見出した一人の人間の魂の声が聞こえてくる。

ハンセン病は主が私に下さった頚木であり試練の鞭です。私はこのハンセン病を通じて二千年前ゴルゴダで釘を打たれた主、イエス・キリストに巡り会いその真理を知り、救いの福音のなかで生まれ変わった故、私がハンセン病患者であった事実を決して嘆いたりはしません。ハンセン病でなかったら、私があらたに生まれ変わる恩恵に恵まれなかったように、私がイエス・キリストを信じていたとしてもハンセン病者でなかったとしたら、多くの先生達が信じていらっしゃる真の生きた信仰の別天地を得ることは不可能であったことでしょう。よってハンセン病者であることを至上の喜びと悟り、感謝せざるをえません。」

訪問した小鹿島の資料室には金教臣の写真と彼に関する本『金教臣とムンドゥンア(らい病者)』(金丁煥 著)が置かれていた。第二次世界大戦終戦、韓国解放の直前に逝った金教臣のことを知る人は今や少ない。そして、孤島に強制隔離され社会に自分たちの声を届ける手段を持たなかった、かつてのハンセン病患者たちの生き様を知る人も少ない。ハンセン病はここ数十年、韓国でも日本でも、そして世界的にも病気の治療が進み、患者数は激減した。そして、人々にとってはもはや「過去の病気」となりつつある。しかし、私たち人類がハンセン病を通じて学んだことはなんだろうか。私たちは、彼の人のように、絶望を至上の喜びに変える力を見出しているだろうか。偏見を取り除き、立場の違いを超え、人と人として心を交わし合うことができているだろうか。今は橋がかけられたその島から、重要な問いかけを投げかけられた気がする。


本山勝寛
日本財団 国際協力グループ
世界のハンセン病対策事業を担当


≪参考文献≫
・金文吉「朝鮮無教会キリスト教と社会正義: 金教臣を中心として」、「アジア・キリスト教・多元性 現代キリスト教思想研究会」第3号、2005年3月
・新堀邦司『金教臣の信仰と抵抗』新教出版社、2004年

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