まなブロ by 本山勝寛 教育イノベーター・日本財団子どもの貧困対策チームリーダー

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

遠藤周作『わたしが・棄てた・女』

インドへ飛ぶ機内で遠藤周作『わたしが・棄てた・女』読了。
キリスト者である遠藤周作が、神の沈黙、人間の愛、運命といったテーマをハンセン病という一筋の糸をもちいて描いた作品。

わたしが棄てた女 (講談社文庫)

わたしが棄てた女 (講談社文庫)

ハンセン病への理解という点での考察―
ひとたび病気を診断された者の絶望と苦悩。患者たちが隔離された療養所(病院)の中でも葛藤だけでなく喜びをもって生きているそれぞれの姿。社会や人々の差別的な態度と心、無関心。それらは小説のストーリーの中で自然と、そして核心的な位置づけをもって描かれている。
一方で、戦後20年足らず(1963年)に書かれたという時代背景か、あるいは作品のテーマを鮮明にさせるためからか、ハンセン病が治る病気で感染力がきわめて弱いといった差別や誤解をなくすための医学的知識については触れられていない。

遠藤周作ハンセン病を題材にした点について―
キリスト教聖職者がハンセン病患者に神への献身をもって奉仕するという背景に対して、キリスト者ではない主人公がキリスト的な隣人愛と自己犠牲を自然に実践する姿を対比させることで、愛とは何か、信仰とは何かを問うている。
さらに、無邪気で純粋なその女がハンセン病と診断されるという設定によって、神の『沈黙』というもう一つのテーマを投げかける。何の罪もない人間が理由もなく病に襲われ、どん底に突き落とされる。罪のない人間がなぜ不幸になるのか。なぜ神が創った世界に不幸が存在するのか。

ハンセン病という運命を宣告された人間の内面を、そうでない人間が本当の意味で理解することはできないのだろうか。自分自身が「ハンセン病対策の担当」になったことは、ハンセン病によって絶望した人々への愛や連帯感を持つことと同一ではない。
しかし、運命というものは、決して切れることはないのかもしれない。
遠藤周作は、登場人物の声を通して投げかける―
「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか」
「でもあとになって考えなおすのよ。この不幸や泪には決して意味がなくはないって、必ず大きな意味があるって…」
主人公は、その「大きな意味」を心の声に導かれるままに踏み出した。


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