まなブロ by 教育イノベーター本山勝寛

教育イノベーター本山勝寛の学びのススメ日誌。極貧家庭から独学・奨学金で東大、ハーバード大学院に通い、国際教育政策修士課程修了。日本財団子どもの貧困対策チームリーダー。『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。』 『最強の独学術』等著書多数。

国際派教育者列伝①嘉納治五郎

こちらに来て改めて気になった「国際派」と呼べる教育者について紹介してみたいと思います。

嘉納治五郎

講道館柔道を創設した人です。

柔道は日本の国技と言ってもよいスポーツ・武道ですが、一方で、サッカーに次いで世界で2番目に競技人口(約900万)が多い国際的スポーツです。また、単なるスポーツ競技、武術の枠をこえ、その哲学性からも教育の性格を持ち、日本的な哲学・文化を伝える役割も担っています。

そんな柔道は、もともと日本に古来からあったわけではなく、柔術と呼ばれるそれぞれの流派が独自の教えを持っていたのみでした。
明治の新しい時代を迎え、日本の伝統的な文化や武術が注目されず廃れていた頃、柔術の各流派が持つ技から科学的な根拠を見出し、その原理を確立し、体系化したのが嘉納治五郎です。
彼はさらに、その体系に「精力善用、自他共栄」という理念を中心におき、柔術を「道」の域にまで発展させます。剣道や弓道など、武術に道がつくようになったのも、嘉納の柔道が始まりのようです。

それは分かったけど、なんで柔道家が教育者なの?
と思われた方もいると思います。

あまり知られていないかと思いますが、彼は東京大学の学生でした。
もともと背が小さく虚弱だったため、体を鍛えるために柔術を始めます。東大時代、勉学に励みながらも、血のにじむような修練を積んだそうです。その中で、体が丈夫になるだけでなく、精神も落ち着き、自制力がいちじるしく強くなったことに気づきます。柔術を通して、心身を鍛錬することで青年に道徳を教えたいと思うようになるのです。
そして卒業後、学習院で講師を務めながら、たった10畳の土蔵と9人の門弟とともに「講道館」を創設します。自ら先頭に立って、ほとんど休むことなく猛稽古を続け、わずか5,6年後に全国制覇を果たし、公に認められることになります。

彼はこの頃、独力で「弘文館」という塾も始めています。そのカリキュラムには「柔道」のほか「フィロソフィー及びポリティックス」、「ミル経済学」「ペイン心理学」等が盛り込まれていました。これらは、東大時代、ハーバード卒で日本近代美術の父とも言われるフェノロサから学んだ内容でもあります。
その後も、彼は教育者としての顔を持ちながら、柔道を日本全国、そして世界に伝えます。
その際、柔道はスポーツ・武術であると同時に、心身を鍛錬する教育手段でもあるわけです。

教育者としては、五高(現熊本大学)や東京高等師範学校(現筑波大学)、一高(現東大教養学部)の校長、文部省普通学務局長なども勤め、日本体育協会を設立します。の設立にも関わってますし、日本の学校教育に柔道が取り入れられているのは、彼の教育者としての力によるものと言ってもよいでしょう。

「教育は一人の人のなせることが、その一生の間にさえ何万人にもその力を及ぼし、さらに、その死後、百代ののちまでも、その力を及ぼすことができる」と語っています。

嘉納のもう一つすごいところは、柔道を世界に広め、日本のオリンピック招致に貢献するなど、国際派だったところです。

彼は早い時期から、直弟子で講道館四天王と呼ばれた山下義韶(よしつぐ)をアメリカへ送ります。山下は、初期の頃から前述の私塾で柔道と英語を習っていました。アメリカでは、身長2メートルもあった巨大レスラーとの他流試合で勝利し(山下は160cmほど)、当時の米大統領セオドア・ルーズベルトに認められました。そして、大統領自身とアメリカ海軍士官学校で柔道を教えることになったのです。これがきっかけで柔道が世界に広まりました。
また、ルーズベルト大統領は柔道の高い精神性にも感銘し、日本ひいきになった一つの要因だったと言ってもよいでしょう。ルーズベルト日露戦争下の日本を影で支えたことも有名で、僕も、日本のソフトパワー研究のために日露戦争講和のケースを勉強したときに、このことを知りました。

嘉納自身も、アジア人で初のIOC国際オリンピック委員会)の委員を務め、夏冬のオリンピック日本開催も勝ち取り、戦争が起きなければ、1940年に開催予定となっていました。
また、英語で手紙をやり取りし、晩年まで英語で日記も書いていたようです。彼が国際的に活躍する土台となったのは、東大時代フェノロサとの師弟関係であったのかもしれません。

嘉納治五郎の、教育者、国際人としての活躍は、自分にも多くのインスピレーションを与えてくれます。
ハーバードの教育大学院で習うようなものではないですが、外に出てみたから、ここに来てみたから注目できたのかもしれません。

日本では、都知事選が盛り上がって、東京オリンピックも話題となっているかと思います。
ボストンでは、松坂君が今日初登板し、見事10奪三振勝利を飾り、かなり盛り上がっています。テレビでは、「松坂世代」ならぬ"MATSUZAKA ERA"なる表現をしていました。

そんなときに、日本の伝統が見捨てられていた時代に柔道を確立し、世界に広めた一人の日本人にスポットを当ててみるのも、よいのではないかと感じます。

そして、僕自身も、彼に負けない国際派教育者として立つことのできる日を夢見ながら・・・


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