ハーバードで留学生活を送っていると、学問と芸術、歴史の街であるボストン、ケンブリッジ(ハーバードが所在するボストンの隣の市)の恩恵をたくさん受けられます。
ボストン美術館や、プリマスなどがそれにあたりますが、今日はハーバードがもつメモリアルホールというところで無料で開催されたオーケストラのコンサートに行ってきました。
僕は、音楽といえばパンクロック、ブルーハーツしかないと思っている人間で、完全にクラシック音痴です。そこら辺の造詣はかなり浅く、ブログに綴れるような知識は全くありません。ただ、初めてクラシックのコンサートを生で観て、感じたことを書き留めておきます。
僕が気になったのは指揮者の動きでした。
そえぞれ異なる楽器が集まった個性集団をまとめあげ、一つの曲、一つの組織、一つの生き物に創り上げてしまうのがオーケストラの指揮者。
指揮者は英語でconductorですが、その性格からリーダーやプロデゥーサーとも類され、日本語でも指揮系統の長を指します。
そんなことを考えながら、演じられるチャイコフスキーの交響曲を観覧し、指揮者のプロデゥース力を観察していたわけですが、ふと、ある風景を思い出しました。
それはハーバードで授業を繰り広げる教授たちの姿です。
ハーバードの名物教授たちは、人気授業に詰め掛ける数百名の学生に対して、質問を投げかけるだけで、自らの意図する授業を創り上げるそうです。投げかけた質問に対して応えた学生の反論を、また別の学生にさせ、それを繰り返しながら、議論すべきポイントを抑え、結局、全員がそこに参加することになります。
僕は、そこまでの大規模授業はまだ履修していませんが、基本的にはどの授業でも、そういった質疑、議論形式の授業が行われます。教授は、教室中を動き回り、後ろにいる学生、右端にいる学生を次々と指差し、議論が展開されます。
ハーバードの名物教授がコンサートの名指揮者に例えられるということを、以前にどこかで聞いたのですが、そのことが頭によぎったのです。
オーケストラを、そしてその指揮者を初めて生で観て、ハーバードで実践される教授法といったものが一体何なのか、何となく分かった気がしました。
僕は、教授の指揮するシンフォニーを奏でる奏者であり、自分の持つ個性を光らせながらも、全体の曲を作り上げる一員なんだ。そう考えると、アメリカの大学で重要視される授業で発言するということが、一体何なのかということも、ほんの少し分かりかけてきた気がします。
曲の流れをつかみ、指揮者と呼吸を合わせること。
ひょっとしたら、英語の能力や日本人の消極性ということ以上に、重要な要素なのかもしれません。
これから始まるハーバード留学第2楽章、最終楽章に向けて、一つ意識してみようかと思います。
そして一教育者としても、ギラリと光る個性集団をまとめあげる名指揮者となれる日を夢見ながら・・・
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