前回からの続き
僕の進路が決まる頃、父は再び地球の裏側に帰った。再び、妹と僕の二人の生活になった。しかし、今度は勝手が違った。僕は、学業に集中するためアルバイトを辞めた。父の仕事は当時、ほぼ奉仕のような形だったので、収入はほぼ0だった。日本育英会から奨学金を借りていたが、それ以外でお金が入ることはなかった。既に、あらゆる節約術を取得していたが、それでも生きていくこと自体が大変になった。時折、電話が止められていたり、電気がつかなくなったりした。食べ物は、スーパーの安売り広告を研究して調達したが、大抵キャベツがメインのおかずになった。米は知人のお米屋さんからいただいていた。電話して届けてもらうこと自体、子供ながらにプライドが傷ついたが、背に腹は変えられなかった。米をうまく食べる研究をした。
僕は、チンしたアツアツのご飯にバター(実際はマーガリン)と醤油をかけて食べるのが大好きだった。バターの溶けた香りと醤油の香ばしさが食欲をそそる。僕にとって、それはまさにごちそうだった。あとは具無し炒飯を作ったり、小麦粉と砂糖のみのホットケーキを作ったりして食べた。栄養的には偏っていただろうが、どれもおいしかった。それに、父と同じように、時間をかけずに料理できたので、その分、勉強に時間を注げた。
あの夏は、僕の受験時代、極貧時代の最骨頂のときだった。
妹は別のところに行っていたので、僕一人の生活だった。最初は、クーラーの効いた市立図書館で勉強しようとしたが、すぐに自宅ですることにした。周りに気を使い、声も出せない環境だとうまい具合に効率があがらない。それよりも、自分の家で自由に自分のペースで勉強できるほうが効率がよい。家に冷房器具はなかった。九州の夏は暑い。勉強しながらしたたる汗でプリントを濡らしながら、筆圧の濃い字を問題集に、大量の裏紙に、そして自らの脳に、身体に刻み込んだ。野球をやっていた僕は、勉強は一つのスポーツだと感じた。インターバールで練習を重ねて、体にその動きを染み込ませる。受験にはいろんな脳の筋力が必要だが、それぞれ必要な箇所を鍛えながら、全体のバランスも調整する。僕は野球で覚えた練習法をそのまま勉強に活かした。
また、その頃一人だった僕は、ほとんど食事を摂らなかった記憶がある。食べることより勉強する時間を惜しんだ。料理する時間ももったいなかったので、ごく簡単にご飯をたべた。例のバターライスである。といっても、人間の集中力は1時時間程度しか続かないことは実践を通して分かってきたので、合い間あいまに洗濯や洗い物などの家事も行った。体を動かすことは意外にもリフレッシュになり、次の勉強の集中力をアップさせる。
こういったインターバルを定着させ、僕は夏休みの間、一日14時間以上の勉強をひたすらに続けた。それは常に渇き、飢えていた期間だった。汗はしたたり、右腕は痛む。一人で孤独な戦いだった。それでも、僕は楽しかった。僕は極めてストイックな人間なのだろうか?もしかしたら、そうかもしれない。しかし、僕があのとき感じたこと、そして今になって感じること、それは、飢えながらも見つめていた未来はいつもギラギラ輝いていた、そういう光だった。
続く・・・
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